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Mr.Children Stadium Tour 2015 未完5(En~ラスト)

*Encore
さーて泣いてる場合じゃない!!ここからが腕の見せどころ(?)でございます!!!!……というのは冗談として、実際自分が毎度毎度かなりの熱を込めて参加していたのが、ここ。

色んな物議を醸しましたね。次の曲の演出を見越して一番はじめにつけた誰かが悪いとも言えはしますが遅かれ早かれ起こることだったんだと思う。
自分もはじめはやきもきしていました。でもそれはライトがつくことよりも、ライトをつけることで拍手が消えてしまうことに対して。何故ならそれでもさくらいさんは変わらず「盛大なアンコールの声と拍手、どうもありがとう!!」と言ってくれるから。なんだか嘘をつかせているような気がして、ただただかなしかった。

それを嘘じゃなくて本当にしたい!!と思いはすれどここはスタジアム。アリーナとはケタ違いのキャパシティに人の数。その「人」というのも本当に色んな人がいる。それを思っては途方に暮れるような思いになることも、あの一体感とあたたかさを何度も感じられたアリーナを思い出して恋しくなることも多々ありました。
それなら不平不満をたらすのか?自分の身近で噂を聞いて「ツアー頭の公演に行っててよかった」、「ライブが楽しみだったけれどだんだん楽しめるか不安になってきた」という声を聞いてそれだけはやらないようにしようと思った。特に既参戦者がまだ参戦していない人の楽しみやわくわくドキドキを妨げたり不安にさせたりするのは絶対にだめだ、なんて思って。

それならあれだ、「暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう」!そう思ってから自分のこの時間への気持ちの持ちようが変わりました。
この場合自分にとっての「あかりをつける」ことは明かりをつけることではなかったけれど(笑)

ここまでこんなふうに語っては来ましたが、 正直ライトを選ぶことは間違いとか悪いこととは言えないと思っていました。この状況の発端となった人を除いては、多くの人は「みんながやってるからやんなきゃいけないのかな」、とか「やった方がいいのかな」、「サプライズかな」、「メンバーが喜んでくれるかな」、とかいろんな想像を巡らせてそれを選んでいたんだと思います。その人たちがこの演出の意味や何が起こっているかを知らないが故にやったことを正誤や善悪という価値観に単純に当てはめるべきじゃないんじゃないか、と思う。その人たちがしらないことがあるのと同じように初めて参戦する人たちやライトを先につける状況が定着してしまった後に参加してきた人たちがどう思ってそれをやったのかを私たちは想像することしかできないしその想像が完璧なはずだと思わない方がいいと思う。
そう考えた上で、この状況下で拍手を選ぶかライトを選ぶかはある種自由だと思いました。それは曲を聴いて縦振りするか横振りするか拍手するか何もしないかっていう選択が自由なのと同じように。
みんなが縦振りしてる中で拍手しちゃだめなのか、っていったらそうやって統一されたり正されたりするようなものだとは思わないし、同じように拍手をする「べき」しなきゃ「ならない」とは思わない。ただ、自分が拍手をして迎えたい、拍手でメンバーにアンコールを伝えたい、「拍手をありがとう!」という言葉を本当にしたい、応えたいと思うから拍手をするし願わくばみんなにももし拍手をするなら拍手する「べき」やライトつける「べき」と思ってじゃなく「拍手したい!」と思って拍手してもらえたらいいな、と思ってある公演から立って頭の上で拍手するようになりました。
なんで拍手しないの?じゃなくて拍手楽しいよー!、まずは自分が楽しんでやる!楽しもう!、と。
実際そうやってやるようになってからは本当に楽しかった!終盤の公演ではさくらいさんが「拍手と声と、そしてこの綺麗な明かり!本当にどうもありがとう!!」って言うようになってたもんだから当初の自分が考えてたことなんて忘れて「よっしゃこっちは拍手担当するからみんなライト担当任せたわ!!!!!!!!(麺担当汁担当)」って気分にすらなってたけどいいだろうMr.myself!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(もはや拍手したいだけの人の様相)(いやいやそんなことは)

……ここまで書いてきた思っていたことの半分くらいは某鳩さんの言葉を消化して得たものです(笑)彼女が言葉にしてくれたおかげで自分の中の気持ちがこうして形になったし、またこの時間の間一緒に手を叩いてくれた隣のあなたや見知らぬあなたがいてくれたおかげで自分にとってのこの時間が楽しくてハッピーなものになったんだと心から思っています。
本当に、どうもありがとう。



En.1 I wanna be there
いつの間にやらセンターステージには彼らが。照明が落とされた暗い中で「見えるー?僕らの方もちょっとつけるね(笑)」なんて言って、センターステージ上の電灯のスイッチをぽちっと。(終盤の公演では足元から照らす照明も増えていたね。)
これ、福岡2日目にセンターステージ横の席で見た時5人分用意されている&それぞれスタッフさんでなくメンバー本人が自分の手でスイッチを入れて明かりを灯しているのが見えてなんだかじんときました。それぞれが「自分の明かり」を灯すこと、それぞれの光を持っていることに意味があるんだろうなと思って。
そう思っていたこともあって東京からの「この明かりは胸の中の光のメタファーだから、私ガラケーだからスマホライトができないんです、という人も胸に明かりが灯っていれば大丈夫です!」という言葉は自然に受けとめられることができました。

「次の曲は、必要最小限の、大事な人たち(時々「大切な人たち」、福岡初日のみ「大好きな人たち」)の灯してくれる明かりの中でやりたいと思います。皆さん、す  ま  あ  と  ふ  ぉ  ん  はお持ちですか??そしてさらにライト機能なんてものをお持ちなんてことは……??(笑)
今からやる曲は、昨日とは違う場所へ、ここではないどこかへ行こうとする人の歌です。(福岡~長居あたりでは「明日こそ課題を頑張るんだ、明日こそ彼氏作るんだ(笑)、なんて思っている人たちがたくさんいると思います」、って言葉も添えられていたはず。ライブ後めもできなかったからあやふや……)」
この言葉とともに始まる曲。揺れるスマホライトの中で奏でられる歌も声もとてもあたたかくてアットホームな装いのものでした。語りかけるかのような歌い方に感じた。
このスマホライトも本当に綺麗だったし、何よりただのスマホのライトでここまで会場が明るくなるんだ、ということに本当に驚いたなぁ。「みんなが持っている胸の中の光は実はこんなに明るいものなんだよ」、って教えてくれたように思いました。自分の中ではやっぱりさくらいさんの言葉で会場が一気に明るくなった福岡初日と、席の高さの関係でちょうどぴったりMr.Childrenが光の中に立っているように見えた名古屋初日と、会場中を見渡すことのできた京セラ初日注釈席の光景が一番残っているかもしれません。……って全部ドームだ(笑)たしかにこの演出を一番楽しめたのはドームっていう密閉空間だったかもしれないや。

さくらいさんのギターソロは結局さくらいさんが弾いてるか見れなかったきがする(笑)(センターステージ横の席でも背中から見る形だった)
でも音だけでも、もう。



En.2 Overture~蘇生
まさかだよ!!!!まさかかよ!!!!そそそそそそ!!!!!!!!!!!!そそそ!!!!そそそそそそ蘇生!!!!!!!!蘇生!!!!!!!!!!!!(´;ω;`)
前に蘇生聴いたのが気の遠くなるほど昔な気がしてたんですが3年前やってたんですよね……感覚狂ってる…………。その間も過去のDVDでずっと見てきましたが、DVDってどれもOvertureの間でスローモーションや回想的な映像が挟み込まれていることが多くて、その記憶に上書きされて昔の自分がライブでどんな風にOvertureの間を過ごしていたか思い出せなかったんですよね(笑)そんなわけですごく新鮮な気持ちで「自分自身が過ごすOverture」を体感したのが今ツアーでした。
この間ずっとステージから放たれ続けている放射状の照明が音の浮遊感と相まってすごく神秘的だった。ずっと白や水色かと思ってたらよく見ると白や水色、ピンク、紫などと刻刻と色を変えているんですね。何故だかそれが印象に残っています。

曲頭から手拍子が始まって案の定それがずれている、なんてことも多々ありましたね(笑)その分クリック音(で合ってる?あの音なんて言うんだ……?)から手拍子が揃って始まった時は本当に気持ちよかった!!!!と!!!!!!!!ここで颯爽と現れたさくらいさん!!!!!!!!爽やかに手拍子を促すとでも思ったか???????否、ゴリラのようnビッグバンでも起こすかのように荒々しくかつ激しいクラップを披露します
蘇生ってこんな曲だっけ?1回1回ものすごい勢いでバン!!!!バン!!!!って叩いてるけどそれ痛くないの?ていうかそのがに股で思い切り前のめりになって煽ってんのまじでゴリrやせいの かずとしが あらわれた!▼
しかもこの裏でたはらはものすごい速さ(競歩の世界大会ですか?)で歩いてなかけ側ステージ端まで到達してたりする(※なかがわけいすけくんはまだ歩き出してもいません)からもうなんなんだよこれ無法地帯にもほどがあるだろっていうか動物園か(そろそろ刺される)

さてそんなてんやわんやから始まる蘇生ですが映像の光きらきらも演奏も本当にミスチルのポジティブパワー全開でやっぱり大大大好き!!!!!!!!
「カメラ向けた」のマイクパフォーマンスやら呼びかけるように歌う「君は誰だそして僕はどこ」やらCメロに入るタイミングで爪弾くたはらさんのギターアレンジ(これ確か中盤からなくなっちゃった……。フレーズの最後でたはらさんがポーーーーーン……♪って鳴らしてバトンタッチするようにさくらいさんが「叶いもしない夢を見るのはもう」って歌い出すのが好きだった)、好きなところはいっぱいあるけどやっぱりCメロ。モニターで大きな光の鳥が羽ばたくのをバックにしたさくらいさんの「そう思ってんだ、そう、そう!変えていくんだ!!!!そう!!そう!!!!きっと出来るんだ、できるんだ!!!!!!!!!!!!
その声の!!!!その笑顔の説得力!!!!!!!!あぁもう嬉しくってもう何回でもなーんどでも!!しちゃう!!!!!!!!
光を放っているMr.Childrenが一番好きだなぁ。改めてそう思ったよ。



En.3 fantasy
「まだやらせてくれーーーー!!!!まだ行けるかーー!!まだ元気残ってるかーーーー!!!!」
「まだまだ、みんなを道連れにして、音楽の中に、夢の世界に、旅立ちたいと思います!!!!!!!!」
ま    さ     か     の     f    a     n     t     a     s     y
誰がここにこの曲が来るだなんて予想できたでしょう?いや出来なかったと思う。そしてそれがMr.Childrenの狙いなんじゃないかな。「1曲目じゃないfantasy」。

スモーク無し&ハンドマイクでの「隣の人に気づかれぬように僕らだけの言葉で話そう」。その歌詞をそんな顔で歌うだなんてあの頃は想像もしなかったから出だしからもうただただ衝撃的でした。とはいえこのいたずらっぽい笑顔はアルバム発売後&ハンドマイクでの距離感だからこそのものな気もするけれど。冒頭での「未完」と同じく、このfantasyもREFLECTIONの気負ったfantasyとは打って変わっての「開けた『fantasy』」な気がしました。だからこそ自然とこちらも思い切り跳ねたり手を叩いたりする形で受け止めましたし、Bメロでお客さんによって「パン、パパン(軽く「フー!」という動きすら)」の乗り方が起こったんじゃないかな。私はやんなかったけど(笑)

アニメーションは2番からでしたが「昨夜見た夢の中の〜」からの文字表示をサイドモニター群に託しメインモニターで本人達を映すあたりなど、かなりリフレクとの変更点が多かった印象です。あのタメもなければワンワンもない。そして  撃  ち  殺  し  て  逃  げ  るさくらいかずとし。ここでステージは一度照明で赤く染め上げられます。やっぱりfantasyは「赤」なんだなぁ、なんて思いました。こんなに人懐っこい「fantasy」として奏でられるようになっても、やっぱりただじゃ終わらないんだな、と。むしろこうしてコミュニケーションに特化した形で奏でられながらも鋭く切り込んでいくという今回のfantasyが、fantasyの真価を発揮した状態のものなのかもしれないとすら思いました。このことはまた後で。



En.4 Tomorrow never knows
イントロが流れた瞬間に沸く会場。どんな曲よりも大きな歓声を受けて迎えられた曲だったんじゃないかな。

この曲でもまたさくらいさんの表情をずっと見ていました。強ばったような、苦いような顔もたくさん見た気がします。何かを振り払うように頭をぶんぶん振ったあとに、眉を下げて困ったように笑った顔も。
どうしてそんな顔をしたのか。思うところはあるけれど、ある公演から何も修飾語のつくことのないただの「笑顔」になったから。もうそれでいい、大丈夫だ、よかった、とほっとしたような気がします。

あとここでは自分の意地の悪さもちょっぴり出まして(笑)大サビ前の客席を下から上へ舐めるあのおなじみの照明を見る度、曲が進む中でそそくさとスマホのライトを消す人を見た時、「やっぱりちょっとやそっとじゃMr.Childrenの表現は損なわれたりなんかしない」なんて思ったりすることもありました。さっき「こんなに1人1人の持つ光は強いものなんだ〜(´;ω;`)」なんて言ってた人間が虫のいいことでございます(笑)
だってやっぱりさ、伝えようとする力や意志の方が強いものだと思うんだよ。例え何かイレギュラーが起こったとしても、それを受け入れた上でさらに強く訴えかけるものの方が。だから、受け入れた(ように見えた)公演からのこの曲の方が事が起こる前のこの曲よりも力強いものだった気がします。……なんて、ぜーんぶ主観ですけどね(笑)



En.5 innocent world
そ・し・て!!!!!!!!ついに!!!!!!!!この曲が!!!!!!!!来るわけです!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
忘れもしないあの口上!!!!!!!!

さくMr.Childrenの音楽の歴史と、今ここにある情熱の全てをこの歌に捧げます!!!!!!!!
あああああああ最高にかっこいい!!!!!!!!かっこよすぎる!!!!!!!!好き!!!!!!!!大好き!!!!!!!!!!!!!!!!
さく(くるっ)(振り返って指差し)いけーッ!!!!ジェーーーーーンッ!!!!!!!
!?!!?!!?!(心臓止)
じぇあいよ〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!
な  に  そ  れ  wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww(蘇生)
じぇわぁん……つー!わぁん、」「「つー!!わんつーすりーふぉ!!!!」」
パァンッ!!!!!!!!!!!!わぁあああああああああ〜〜〜〜〜〜!!?!!!?!?!!
降り注ぐテープ!!!!!!!!黄色水色オレンジ!!!!頬が染まるあたたかなさくらいピンク!!!!!!!!!!!!!!!!(※ピンクゲットしてない)(しかも黄色じゃなくて白)
銀テープ発射自体はアトハツアーの同曲ぶり(その時は曲ラストでの発射)だったかとは思いますが、自分が瞬間的に思い出したのはPOPSAURUS2012でした。だってさ〜〜私西武ドーム参戦だったからさ〜〜あのボール触ったことなんて無かったんだよ〜〜すっごい憧れだったんだよ〜〜〜〜!!!!ミスチルがこんなことやるのってめったにないしさ〜〜それで思い出してさ〜〜ほんとにさ〜〜ほんとに嬉しかったんだよ〜〜(´;ω;`)(´;ω;`)

敢えて好きな曲で一番に挙げることも、ライブで聴きたい曲で一番に挙げることもしない、だけれどひとたび会場で聴けば一瞬にして「あぁこれが欲しかったんだ!!!!」と思わされてしまう、それがイノセントワールド!!!!これがMr.Childrenの音楽の歴史と情熱の象徴!!!!!!!!
あぁ〜もうかっこいい、ひたすらかっこいい(´;ω;`)馬鹿みたいだけどこれしか言えないかっこいい(´;ω;`)もう一度言うよ、  か   っ   こ   い   い 

東京からキー下げだったとか知るか笑顔で歌い切れればそれでいいんだ!!!!それが全てだ!!!!!!!!(お馴染みダメなファン)
やっぱりこの曲でアツいのは両翼に歩いていっていたなかたはがステージ中央で向き合ってモニター大写しで演奏するあのシーン!!!!そしてそれを街の片隅(センターステージ中央でしゃがんで)で見守るさくらいかずとし!!!!肩を並べてさくらいの元へ歩いてくる塾友達!!!!!!!!(雑)あぁ〜〜もう……Mr.Children………………。(回想中)
そしてやっぱりそこはさくらいかずとし、じぇんちゃんを仲間はずれになぞしないのです。最後の最後、目で合図をしたあと花道半ばから必死で猛ダッシュ&歌詞モニターを発射台にじぇんの元へ  大       ジ   ャ   ン   プ!!!!!!!!!!!!!!!!
……これ、いつも興奮して見てはいたけど実際じぇんからはどう見えてるんだろうね、いくらかわいいとはいえ45歳のおじさんがいきなり物凄い速さで現れたかと思ったら花火が打ち上がるように大の字ジャンプですよ。かなりの近さ&高さですよ。心臓止まるわ(じぇんはっょぃ)



さて、そんな冗談はさておいて。照明が落ちオープニングの続きの物語が紡がれます。
再び数々の扉をくぐり抜け種々の世界を旅してきたあの鳥と少女が登場します。ここで初めてそれかが私たちがこのライブを通して旅してきた世界なのだとすら、思い知らされます。

その鳥から落ちた一枚の羽根。老人の手に収まったそれから、再び・最後の謎掛けがなされます。

今あなたにはこの羽がどんな羽に見えるだろうか?

わたしたちは何かを知っているようで何も知らない。
だが、知らないからこそ存在することもある。

わたしたちはそれを可能性と呼んだり
希望と呼んだりするかもしれない。


わたしたちはいつでも生まれ変われる。


どれもこのライブを通して彼らが見せてくれた教えてくれたこと。それを改めて噛み締める中で暗闇が光に満ち、最後の曲が。



En.5 Starting Over
この曲なんだ。Starting Over。
REFLECTION(これはLIVE FILM作品「REFLECTION」も含めて)という懐かしい愛しい言葉を彷彿とさせるように、メインモニターにはゆらゆらと反射する光が揺れ、その中央にはこの歌のタイトルが。
切り替わると画面にはお互いの尾を喰らう蛇・ウロボロスが現れます。ウロボロスが象徴する意味は「死と再生」「不老不死」など多々ありますが、ここではやっぱり永劫性だったんじゃないかな。何かが終わりまた何かが始まるという永劫性、循環性。

さてこの映像がまたしても私はあんまり好きじゃないんですが(笑)(彼らが演奏する姿だけで十二分に伝わると思ったから)、一つすごく気になったのがモンスターにかけられるロープ。この色がフェイクのプリズムモニターで目や耳を縛っていたのと同じピンク色だったんです。偶然かもしれなくても見つけちゃったもんは考えちゃうもんです。何がどうという訳じゃないけど私の中ではあのロープは同じものです(笑)
あとこの曲の2番でもALIVE2番と同じようにステージセットが照らされドーム天井にセットの影ができるという照明の使い方がありました。この影は曲が進むうちにぼやけ、やがて強い照明の中に消える。
これを見てやはりこの影はなにがしかのネガティブイメージか、あるいはモンスターを示唆するものなのかな、なんて思ったり。

この曲の変更点といえば東京2日間のみのキー下げ(この曲と東京2日目のSEのキー下げ、イノセントワールドキー下げはあまりに違和感が大きかったので私でもわかりました……)、そしてあの日産2日目の大事故(仮)の引き金ともなった大サビ前での映像のホワイトアウト&ブレイク、でしたね。このシーン、ネットの声を覗くと演出どころか映像が出ないミスだったとすら捉えている方も散見することが出来たんですが、それまであまりに作り込まれた映像に合わせるように演奏しているようにすら見えることもあったこの曲で、このブレイクから完全に映像→Mr.Childrenへ主導権が渡ったように感じられてすごく好きでした。

そして日産2日目のあのミス。どこぞのシガスカオさん(仮名)は「ちょいミス」という形容をしていましたが(やさしさ……)、実際この曲のしかもこの場所のミスである以上「ちょい」なんて言えるものでは無かったと思うんですよね。
私が見たあの日の光景は、大サビ前のあのブレイク明けにさくらいさんが間違ってもともとのタメの長さで(つまり早く)入ってしまって、演奏と事前録音の音声と全部ずれてしまって。でもドラムが一番最初に気づいてさくらいさんに合わせてそこから四人の演奏だけはぴったり合って、(しかし事前録音音声は全てずれたまま)曲終わり。というものでした。曲終了後モニターに抜かれたなかけは肩をすくめて困ったみたいに笑ってた。みんな笑顔だった。
本当はさくらいさんがずれているから事前録音の方に合わせるのがミスを修復する上での正しい形だったんじゃないかな、と思います。だけれど、メンバーは全員迷わずさくらいさんに合わせた。かき消すかのように演奏していた。全然うまく表現出来ないんだけど、それを見て、こんなふうに迷わず真っ直ぐさくらいさんを支えようとできるっていうことに本当にメンバー愛というかMr.Childrenというバンドの在り方そのものを見たと思ったしその姿勢をありありと見せつけられたように感じたんです。

あのミスが起こった瞬間思わず手で口を覆ったし息を飲んだ。その後のメンバーの必死のカバーを見て胸が震えた。
自分が音楽に明るくないことも多々認識違いをしがちなことも分かっていたから(実際今書いたシーンの描写も間違いが多々あると思う)、このシーンに「ただのミス」じゃなく強くしなやかな「Mr.Children」というバンドの姿を見出すのは的外れかもしれないとも思いました。瞬間的に。
でも、その日本当に偶然隣にいたその人が何度も「すごい」「Mr.Childrenを好きで本当によかった」って呟くのを聞けたことで、「もしかしたらこの感覚は間違いじゃないかもしれない」なんて思えもしたんです。

単純なミス以上に大きな力強いものを目の当たりにしました。本当にMr.Childrenが好きだ、Mr.Childrenを好きでよかったと改めて思いました。うまく伝わらない気がするけれど、そんなことをあのシーンから感じた人もいたんだよ、ということで(笑)


それと未だに謎ながら忘れられないのが名古屋初日と終盤のどこかの公演(めもしそびれた……ぐう…………)(日産か京セラファイナルなきがする…………)の2番のサビの「眩い 儚い」からのメインモニターでのあるシーン。カメラはバックのじぇんが映る形でさくらいさんを正面から捉えていたのですが、ここでじぇんのドラムセットの裏からカメラ側に向かって白い光が放たれて、それがちょうどレンズに真っ直ぐ入ってまるで歌詞に呼応するかのようにモニターが数回ホワイトアウトするということがあったんです。
その時のじぇんのドラム裏の照明が一定の速さで横に動いてその数回のホワイトアウトを生み出していたように見えたんだけど、他の曲でそんな照明を使っていた記憶がないから見間違いか幻覚なんじゃないかとすら思いました(笑)でも2回見たから実在してたんだと思うんだよなぁ……。
照明を使った数々の演出の中でもトップに入るほどに大好きな、心震わされた演出でした。
彼らは本当にあの白い眩い光が似合う。



例えばある人はこの歌がどんな風に生まれたかを知っていて、ここで歌われる「僕」をMr.Childrenやそのコンポーザーたる桜井和寿と捉えるかもしれない。

例えばある人はこの歌がタイアップとして背負った「バケモノの子」という作品を知っていて、ここで歌われる「僕」を主人公たる九太(蓮)と捉えるかもしれない。

例えばある人はこの歌がどんな成立過程や世の中への披露のされ方をしたかを知っていて/知らないで、ここで歌われる「僕」を今まさに悩み苦しみ光を掴もうとしている己自身と捉えるかもしれない。


Mr.Childrenがポップミュージックの最前線で音楽を鳴らしてきたということが示すのはそういうことだと思うんです。大衆目掛けて投げ掛けられるその曲は、たとえどんなに(無意識的/意識的かはさておいて)個人的な葛藤・バンドの葛藤を歌ったものであっても、世に数多溢れる物語及び個人の心情と重なりうる。
この普遍性、この訴求力がMr.Children。

「一緒に歌おう!」と呼び掛けられる終わりなき旅。
「聴いてるぞ、聴こえてるぞ!みんなの足音!」という言葉と共に奏でられるようになった足音。

このツアーで私たちが目の当たりにしたMr.Childrenは、時に「俺たちがMr.Childrenだ」「俺たちの歌だ」と魅せつつも、何度も「みんなのMr.Childrenだ」「みんなの歌だ」と頼もしく不敵に、そして人懐っこくあたたかく微笑み掛けてくれた。
その二つの顔はもはや分裂なんかしていない。どちらかが虚像なんかでもない。

だっていつか胸の中の洞窟に住み着いていた魔物、いつしか肥大した頭を携えるようになったそのモンスターとの決着はついたのだから。


その事実を証明するかのように生まれて、今ここにある曲が「Starting Over」なんじゃないか。


京セラファイナルという「何かが終わりまた何かが始まる」まさにその日に「Starting Over」を聴きながら、そんなことを思いました。

自分にとって一番に大切な曲、というわけではありません。正直に言えば。
それでも紛れもなく今のMr.Childrenの代名詞としてある曲だと思わずにいられない。それが自分にとってのこの曲、Starting Overでした。














最後の曲が終わり音が鳴り止み。晴れやかな顔で楽器をスタッフに託したメンバーは客席を向きます。
いつもここでやっとメンバーの服を認識するんですが、

さくらい:白いTシャツに青い上着(語彙力)。ちなみに福岡のみ上着カーキ色!
なかけ:白のポロシャツ
じぇん:ゴシック体で「IMAGINE」と書かれた黒Tシャツ。新潟から右肩甲骨に青い羽根がつけられるように&東京初日のみ背中側の腰に。衣装にまでツアーコンセプト反映させちゃうとかこの人はもうどんだけみすちる好きなの(´;ω;`)うっ
たはら:ま  さ  か  の  お  着  替  え  な  し(おいおいおい夏だよまさかすぎるでしょ)

さくらいさんがさにやん、じぇん、なかけ、たはらさんと順番に紹介をして、「ボーカルさくらいかずとしでした!!」と笑って。5人で手を取りお辞儀をします。(いつも通りここで左手ぴこぴこさせるじぇんちゃん!)
さにやんはここで退場してしまいます。捌ける速度速すぎるよ!!!!(泣)もっともっと拍手とありがとうの声を届けさせてよ!!!!!!!!(泣)(泣)(笑)本当に本当にどうもありがとう!!!!!!!!!!!!(´;ω;`)

そしてステージに残った4人は未完をBGMに手を振りながら花道へ赴き。さくらいさんから腕を伸ばす日もあればじぇんから腕を伸ばして3人を集める日もありつつ(バンドっていいね!!)、「もう肩組めた?」なんて確認し合うようにお互い顔を見合わせて(バンドっていいね!!!!)、肩を組んだままお辞儀をするのです。(バンドっていいね!!!!!!!!!!泣)
顔を上げる直前じぇんはいつもさくらいなかけの肩をぽんぽんっと軽く叩くんですが、これが本当に本当に大好きで。「お疲れさま」「大丈夫だよ」「よかったね」「無事終わったね」、毎回勝手にいろんな意味を見出しては勝手にぐすぐすいってました……お母さあああああああああああああ(´;ω;`)(´;ω;`)(´;ω;`)(´;ω;`)(´;ω;`)(´;ω;`)(´;ω;`)(´;ω;`)(圧倒的母性)

しかしやっぱりすずきひでやはすずきひでや、ただでは終わらない(笑)
花道からメインステージに戻るタイミングでちょうど「いっそ飛べない鳥の羽なんかもがれちまえばいい」が流れて「飛べない鳥の羽なんか」(両手をぱたぱた羽ばたかせる)→「もーがーれちまえばいーい」(両手で交互に肩から羽をブチッ!ブチッ!と抜く真似)といういわゆる羽もがれダンス(これ考えた人天才)を披露(笑)札幌からは羽をもいだ後に両手で集めて「フッ!!」と吹くジェスチャーまで加わりました(笑)時々メインステージ戻ってから「ちゃんとわかってる」のとこでくるっと振り返って変顔したりその上カメラに向かって指差したり、もあったね(笑)
足音(りふれく足音ダンス……)といい未完といいよくもまぁここまでキー曲をキャラ崩壊(キャラじゃないけど)させられるもんだなぁ(笑)(笑)(笑)


全員がメインステージに戻るとさくらいさんが語り始めます。
「本当にハッピーです!!!!最高の時間をどおおおもありがとう!!!!!!!!
また会おうねーーーーー!!!!!!!!その時まで、それぞれの場所で頑張りましょう!!!!そうしてちっちゃいハッピーを集めて持ち寄って、またでっかいハッピーを作りましょう!!!!!!!!」
日によっては「頑張ろうね」「頑張ろうぜ」といった言葉が加えられていたり、「なによりも元気で!!!!」なんて言葉が加えられていたり。そんな数々の別れの言葉の中でなによりも印象的だったのが、京セラドームでの言葉。


「こんなリスナーを、こんなファンを持てて、Mr.Childrenは本当に幸せなバンドだと思います」



そんなの「こちらこそ!」でしかないんだ。ずっとこちらが思ってきたことだよ。


…この言葉だけじゃなく最後の肩組みや中盤でのメンバー紹介、いやもう昨年からのMr.Children に対してずっと思ってきたことがひとつあって。

かつて「覆面バンドで曲を出したい」とまで言っていて、3年前ですら
「Mr.Childrenの音楽を聴いたときに僕らの顔が思い浮かぶんじゃなくて自分の音楽として聴いてほしい」
(それはその曲をミスチルが作ったかどうかは関係ないということかと聞かれて)「(大きく頷いて)それがもうほんとは一番……」(2012.12.15 NHK SONGS)
と言っていた人たちが、いつのまにか

「やっぱりメンバー4人がMr.Childrenっていうものを凄く好きなんだと思うし、僕もMr.Childrenが好きなんですよね、とても。ツアーを回り、アンコールの最後にサポートメンバーを紹介して、サポートメンバーの人も1回捌けて、メンバー4人だけで挨拶する時のお客さんのあの感じ……『これが見たかった』っていう感じっていうか。それを僕達も大好きなんです」(2015.1.15 MUSICA)
「僕もリスナーとして、Mr.Childrenファンとして、どういう音楽を聴きたいかと思った時に──やっぱりバンドってマジックがあるじゃないですか。4人がプレイしてる姿や表情が音を聴いた時に感じられるからこそ、この音楽が好きだったり愛おしくなれるみたいな……そういうもの聴きたいな って思ってたんですよね。基本的なことだけど、Mr.Childrenとしては必ずしも基本の基本ではなかったかもしれないことを」(2015.7.15 MUSICA)
なんて言うようになったことに本当に驚いたしうれしくてならないんです。

はじめに挙げた発言を聞いた昔は「彼らにとって『Mr.Childrenが好き』『Mr.Childrenのファンだ』と思いながら彼らの曲を聴くことは望ましくないんじゃないか、でも自分はMr.Childrenが好きだ」ということに悩んできました。だから、いつも「リスナー」という言葉を使いその言葉の指すところである大衆に向けて音楽を投げかけてきた彼らが「ファン」クラブツアーをやって、「ファン」の投票に応える形で1位の曲を披露して、っていうそれだけでも信じられないほど嬉しいことだったのに。
あのMr.Childrenからこんなふうに言ってもらえる日が来るなんて、本当に思いもしなかった。こんな言葉がもらえるなんて想像したこともなかった。
本当に本当に幸せです。本当に本当にありがとう。こちらこそ、本当に幸せなファンです。

あなたたちの音楽とあなたたちに出会えて本当によかった。
今のこのMr.Childrenと出会うことができて、今このときファンでいられて本当によかった。
心からそう思います。


だからまたハッピーを持ち寄って、元気に会える日がくることが待ち遠しいです。きっとその時も笑って!!




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