へそのお追記 細かいとこで思ったこと 幕張のトレモロの天井のレーザー?星空映像になってうれし〜〜〜!!!!最初の方の「ます」でよじろたけくわが「アイ!アイ!」に合わせて一緒にぴょんっ!ぴょんっ!ってするのめっちゃかわいたけだの顔が良すぎて話が頭に入ってこない(福山雅治現象)セトリ変更指示終わったあとソファ?につっ伏すたけだかわいい……みっきーのMUSIC MAKES NEW WORLD Tシャツやっぱり英語が喋れるっていうようじろかっこよすぎるう……(基本的)あとパリ公演?かなんかで柵の数について店のオーナーらしき人と交渉して→自分でも荷物移動させる、ってシーンすごく好きだ、本当に自分たちのライブを自分たちみんなの手で一緒に作り上げてるって感じ。人任せでなく自分で決められる人たち。これだけ大きいバンドでありながら自分たちで決められる、とかようじろのメンバーがいるから〜って発言とかにミスチルを思い出したり照明ミスした五月の蝿正直半分顔見えて&荒々しくてかっこよかった、2回目見てやっと気づいたけど演奏中たしかに照明の指示とばしてたのねしかし実はアンコールで五月の蝿をやるっていうことがようわからんかったりする、どういう気持ちで聞けばよいのだろう……どういうつもりでその選曲なのだろう……。照明のことがあってギスギスした楽屋を撮って映画にそのまま使うってなかなかできないと思う、でも綺麗事で済ませていないということもあってかなり好きなシーンここでちょっと気が立ってるようじろをフォローするように「お母さん〜のとことかよかったよ」なんて声をかけるくわ……ここめっちゃ好き……。SONGSドキュメントのノブナガ聴いてさくらいさんを持ち上げようとするじぇんちゃん思い出したり……(ミスチルで例える芸人)(あのさくらいさんがじぇんに強く当たるシーン、逆にメンバー間の信頼関係が見える気がして大好き)10年後どうなってるんだろうね、こんな動けるかな、客層どうなってるかな、の話、ひとまわり上のバンド(某オーバーエイジ枠(笑))を追っている身としては「だいじょーぶだいじょーぶ(あたたかい目)」って気持ちで聞いてた、大丈夫新しいファンは常に入ってくるし40代なんてまだまだ元気よきっと寝台車?かなんかでカーテンから顔出してるくわかわいいね〜またようじろがこどもに話しかけるおかあさんみたいな口調で話しかけてるのがね〜トータルでかわいいね〜(so cute!とか言ってるしね)ウノしすぎな道中の映像が映れば映るほどに仲良くてかわいい〜〜あのギター沢山出てる椅子のくわ(キマってない)→たけだ(普通にかっこいい流石イケメン)→ようじろ(闇の帝王感)っていうこの三コマ漫画感楽しいplentyのボーカルの人女の子みたいだね……若手舞台俳優に100万人くらいいそうな感じ(褒めている)胎盤相手の男性ボーカルさん声高い人ばかりねスピッツの「こんなバンド他にいない」っていうコメントへのりおの「いやあなたたちみたいなバンドも他にいないでしょ!!!!!!!!(笑)」ってコメントにうけたたかの声とよじろの声の相性抜群、というかようじろってほんと誰の声にもものすごく綺麗にハモってるなぁ、ようじろの高音ハモリの人への親和性めちゃくちゃ高いそんな胎盤シーンが沢山映ったあとにようやっと出てきたさくらいかずとしのハモらせる気ないだろ感半端じゃない(だがそれがいい)(張り合っちゃったのか興奮しちゃったのか)(胎盤食べるよ!って言ってたくらいだし食ってやろう!って勢いだったんじゃないかなって思う)基本的なことだけどさくらいさんの声ってめちゃくちゃかわいくない?かわいいロボット掃除機のくだりずっと横からのカメラだから余計に分厚さが強調されている……夢番地の最後の「立っている……」の声の甘さ&高さ最高つっ伏すようじろまで映して欲しかった〜〜未完の黒T着てるじぇんちゃんなかけめっちゃ酔ってるな〜楽しそうだな〜(笑)幕張のお風呂あがりのの民族大移動映像見ると心臓縮む(蘇る将棋倒しの記憶)(映像で見て思ったけどこりゃ倒れるわ……) PR
RADWIMPSのHE・SO・NO・Oを 観てきました。いてもたってもいられず書いてしまった感想文です、レビュー的なものを求めて来た方は帰った帰った!!以前の11/28胎盤感想文同様にRADWIMPSが好きなMr.Childrenファンという視点が大きいと思いますのでその点もご了承くださいませ。あともちろんのことながら「私の思ったRADWIMPSのHE・SO・NO・O」ってな個人的な視点に基づいた文章でもありますのでそれも念頭に置きながら。よろしくお願いしますっす。とあるバンド、とあるツアー、とある活動というものがあったとして、その語り口は幾通りもあるのではないかと思う。その音楽的な面に着目するか、フロントマン及びコンポーザーたる人間やリリックに着目するか、そのプロジェクトとしての大きさに着目するか、などなど。切り口はいくらでも見つけうるし、3ヵ月というロングスパンの密着で撮られた映像のモンタージュによってはどんな作品・どんなRADWIMPSを描くこともできたはずなんじゃないかな、と思う。そんな数多くの可能性の中のたったひとつが選ばれ形になったのがこの「RADWIMPSのHE・SO・NO・O」であり、またそれはツアーへの密着という撮影手法から通常生み出されるライブDVDやライブフィルムといった類のものではなかったと感じました。「10th Anniversary Documentary Film」。映画のタイトルにはそう冠されている。そう、これはあくまでドキュメンタリー。しかも「10th Anniversary」……10周年記念という言葉が添えられている。普通この言葉から想像される映画はどんなものになるだろう?10年の歩みの長さやこれまでの困難、10周年という節目を記念すべく華々しい成功や将来有望な様が描かれるんじゃないだろうか、なんて思ってしまう。なんせ10周年だもの。記念だもの。……ちょっと意地悪すぎる考え方かもしれないけれど。でも、この映画はそうではなかった。描かれていたのは、10周年という節目の年らしく、様々な国の様々な観客、多くのミュージシャンと相思相愛を結んだただ華々しいだけのツアーの日々ではなく。たったひとりの、しかしただひとりのかけがえのないメンバーの喪失にぶつかり、向き合い、なお前を向いて10周年という節目の年を乗り越えていったRADWIMPSの物語、そしてその愚直でひたむきな姿。等身大のバンドの物語。正直想像もしていなかった。はじまりはじまりの会場で見た特報やフライヤーの文言はどちらかというと前述したようなライブの記録やアニバーサリーイヤーとしての色合いが濃いような雰囲気を醸し出していたように思う。そんな先入観を持った人間にも素直にこのバンドの直面している現状やバンドの姿勢をすんなり受け入れ観ることが出来たのは、この映画の監督たる朝倉さんが観察者としてい続けたから、観察者としてRADWIMPSの3ヵ月を撮りきったからこそだと思う。大抵のバンドは何かしらの苦労や妥協、打破をもってその山あり谷ありの活動を繋いでいく。身も蓋もない言い方ではあるけれど、それぞれのバンドにとってはセンセーショナルな活動休止やメンバーの脱退、事務所の移籍etcといったイベントは音楽業界全体を見渡せば古今東西「よくあること」なのです。例えばMr.Childrenのファンの自分はMr.Childrenのとある時期を「深海期」と呼んで特別視したりもするし、97年と02年の二度の活動休止は充電期間と病気による休養と性質が違うものとして考えたりもするし、ベストアルバムを出し「POPSAURUS」というキーワードを掲げて宣戦布告を行った2001年は彼らにとって大きな転機だったんじゃないだろうか、とか、事務所独立してセルフプロデュースに踏み切った2014年~はミスチルの大切な年だった、だとか思ったりするんだけど、たぶんこういうのってMr.Childrenのファンじゃない人は意識しないだろうな、いやMr.Childrenの音楽のみにしか興味がないファンだって意識しないだろうな、と思うんです。だってそれを知らなくても音楽はそれだけですばらしいものだから。そんなわけで「バンドの物語」というのは得てして内輪向けの語りや内輪ネタになりがちなものだと思う。それを知りたい者向けのものに。そんな「バンドの物語」を主観的に一大事として語れば、そのバンドのファンの同情や感動を誘うことはできるだろう。でもそのファンの輪の外にいる人間からは「自分たちに酔っている」だとか「大袈裟だ」とかいった一歩引いた目線で見られることになってしまいがちだ。実際にその「バンドの物語」における困難があまりに厳しいものだったとしても。RADWIMPSのチームはメンバー・スタッフ含め長年共に連れ立ってきた、阿吽の呼吸で動ける本当に一丸のチームなのだと思う。スタッフも含めてのRADWIMPSというチーム。それは映画の中のメンバーやスタッフの言葉や行動によっても繰り返し示されていたことだった。彼らが内部の人間でなく全くの外部者である朝倉監督にドキュメンタリーの制作を依頼したのはだからこそだろう。彼らは自分たちが内輪な組織だと自覚しているから、客観的な観察者を求めた。自分たちに起こっていること・自分たちの今を客観的な記録として残そうとした。そしてそれはメンバー・スタッフの内面に踏み込みすぎないが要所要所で挟み込まれるナレーション、メンバーやスタッフのインタビュー、ライブフィルムで普通用いられるであろうライブ音響を意識したエコーのかかった音の出力ではなくナレーションありきのものとしてのコンプレッションのかかった音の出力、長期間・長時間の密着によるカメラマンの自然な溶け込みやワンシーンワンシーンのモンタージュにより見事に成功しているのです。客観的客観的言いつつこのあたりは完全に私の主観ですけどね!!でもこんなあれこれを感じてなんだかもうRADWIMPS何重にもすげぇ!!この映画何重にもすげぇ!!と思わざるを得なかった!!!!繰り返しになるけれど、本当に客観的なものとして描けているんです。映画を観てからパンフレットの朝倉監督の言葉を読んで本当に客観的に描こうとして撮っていたことを知って/実際そういうものとして作品が出来上がっていることを改めて実感して鳥肌立った……。こんな音楽ドキュメンタリー初めて観たと思って。この客観的な視点への信頼感があるからこそ映画の内容自体も安心して観ることができたし、前述したようなメンバーやスタッフの主観的であることを自覚した上で客観しようとする姿勢や役割への自覚、熱意、お互いへの思いやり、誠実さを随所に見い出しては単純に「いいチームだなぁ、素敵なチームだなぁ」と感じることができたように思っています。誠実さといえば一番印象的だったのが台北のダブルアンコール。急遽応えることになりメンバー一同舞台袖に控えるも楽器のチューニングが済んでおらずスタッフからまだ待ってと声を掛けられるのですが、その間も続くお客さんのアンコールの声に一刻も早く出たいと思ったのか「チューニング上がってから自分でやる、大丈夫、もう出る!」とステージにあがるメンバー。これは偏見かもしれないけれど、テレビのドキュメンタリーならこういうところで絶対変にメンバーの内面描写のナレーションが入ってたと思う。偏見かもしれないけどね!!!!(2回言う)(大切)でもこの映画ではそういった余計なナレーションはなされない。あくまでありのままの姿を切り取って見せているだけ。だから余計にその誠実さがさり気ないものとして真に迫って感じられるのだと思う。とにかくこのシーンで私の朝倉監督及びこの映画への信頼はMAXになった……ええシーンですのう……( ˘ω˘ )他にも印象的なシーンを挙げていくとすればやっぱりMr.Childrenとの胎盤についてのくだり。どうしてミスチルとの胎盤が追加公演という形で、しかもZepp Tokyoというあまりにも小さすぎるハコに決まったのかがずっと気になっていたんだけれどこの映画でよくよくわかったし本当に驚いた。お互いのスケジュールも厳しい、主要スタッフも足りない、全国探してもその日使える会場がない。ほとんど実現不可能な状況下で、「それでも可能性があるならやりたい!」、そう熱望されて実現したライブだったんだね。あの日のステージングからも充分すぎるほど伝わってきていたけれど、それだけの熱意をもってRAD及び洋次郎が臨んでいたことを改めて知ることができて本当に嬉しかった。改めて「それでもやってくれてありがとう」って心から思ったよ。ほんとに。逆に胎盤ライブシーンについてはもうほんと言うことない……言えない……もうとにかく観てください……ほんと……観て…………お願い………………ムビチケあげるから………………………………。(※もうない)有心論もさることながら、絶対映像に残ることがないだろう二度と聴くことはないだろうと思っていたさくらいさんのとある歌を聴くことができてそれがもうもう本当に幸せだった……絶対二度と聴けないと思ってた……。あと聴きながら自分の11/28感想文に書いた内容間違ってたから直そうと思った……直します……。すんごいミーハー丸出しな雑なこと言うけどメンバー全員ちゃんと出るからね!!!!バックステージ観れるからね!!!!たはらがピックくわえるからね!!!!(?)もうそれ目的でもいいから観て!!!!ミスチルいいし何よりRADWIMPSも映画自体もいいから!!!!!!!!ミスチル目的ででもいいからとりあえず観て!!!!!!!!!!!!!!(必死)それと立て続けに色んな胎盤相手が出てきたこともあっていつもの3倍さくらいさんが分厚くムチムチムキムキマッチョに見えて面白いです、これ店長からのオススメの1品(肉厚ジューシー)(殴られそう)と、まぁ突然テンションおかしくなりましたが、話は変わりまして。前述の胎盤追加公演の件と別に自分が前から気になっていたことがもうひとつございました。何かというと「お風呂あがりの」のこと。「記号として/''I’Novel」のシングルをゲットしてから何度かツイートしたと思うんですが、今日に至るまでずっとこの「お風呂あがりの」という曲の歌詞の意味が掴めずにいました。曲が大好きなだけに歌詞のわからなさがあまりにひっかかる。なんのことを歌っているんだろう?ずっと考えていましたがRADに関してはインタビュー読まないようにしてることもあってわからないまま。そんな状態から数ヶ月たった今日、この映画を観て、やっとその詞で唄われていることを知ることができたように思いました。映画の中でも直接的に言葉にされることはなかったけれど、「きっとそういうことなのだろう」という答えが見つかったような気がした。3人だけになってから初めてレコーディングされた曲、「お風呂あがりの」。「お風呂あがりの」はさとしくんが観に来た「はじまりはじまり」のステージでサポートドラマー2人なしのメンバー3人のみという形で披露された。「愛のない日々が僕らを包み容赦ないバイバイに張り裂けそうになる」という詞。映画の中で洋次郎の語った「あんなに愛し合った4人」という言葉。フライヤーなどで繰り返し使われていた「つながりを断ち切って、人は生まれてくるんだよ。」、「次の10年に向けて!生まれ変わろうとするRADWIMPSの10周年。」というコピー。トレイラーにあった「彼らのついたたったひとつの嘘」という意味深な文句。誰とのつながり?何から生まれ変わる?どう生まれ変わる?一体どんな嘘をついたの?答えは全て映画の中にあったし、結局彼らは嘘をついたりはしなかったんだと思った。 その具体的な内容を今文字にしようとは思わないけれど、それだけははっきり言いたい。自分がこの映画を観て一番強い感銘を受けた事柄でもあったから。その代わり、そこにいたのはただ愚直に目の前の現実や人と向き合おうとするどこまでも誠実な人たち。時につまづいたり上手く行かないこともあるけれど、それを丁寧に拾い上げてどうにかしようと必死にこねくりまわす。その姿は決してスタイリッシュだとか器用だとか言えたものではなかったし、それには明確な「痛み」が伴っていることが描かれているように感じた。だから私個人としては「楽しかった!」「RADWIMPS最高!」と一括りにした感想は言い難いな、というふうに思っています。でも、カメラがありのままに捉えた「これまで」と「これから」の間でもがく現在進行形のRADWIMPSの姿は、とてもとてもひたむきで美しいものだったし、きっとこれからも彼らは自分たちの最良のかたちを模索して、壁にぶつかった時にはチーム一丸となって支え合いながら乗り越えていくんだろう、という確信めいたものも感じた。もしかすると、この映画は「そうやってこれからも進んでいくんだ」という宣戦布告だったのかもしれない。「生まれ変わった」でなく「生まれ変わろうとする」という言葉にも表れているように。綺麗事や成功、順風満帆という言葉で単純に言い表せないバンドのリアルに寄り添い、そうすることで逆にバンドの強さやしなやかさ、誠実さをそのままに写し取った「RADWIMPSのHE・SO・NO・O」。本当に素晴らしいドキュメンタリー映画だと思いました。そんな訳でまだ買っておいた前売り券もあるしまた観に行きたいと思います、みんなも観てね!!ミスチル出てるから!!それ目当てでもいいから!!(しつこい)P.S. エンドロールで流れたあの曲は、自分がどうしてもどこかに何かの形で残してほしいと願ってやまなかった、あの11/28のZepp Tokyoのものだと信じています。そうであってほしいと心から思っている。