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Against All GRAVITYツアー沖縄初日感想文②

 
■MC
お着替えもあるのでちょっと長めの暗転。
 
たぶんこの暗転のときだったと思うんだけど、誰かが\めんそーれー!/って言ったのをきっかけに会場から
めんそーれー!
 
            めんそーれー!
 
\\(女の子数人で)めんそーれー!!//
 
って声が上がってたのがめっっちゃかわいかった……沖縄だぁ…………(´;ω;`)
 
明転してさくらいさんが出てくる。
一言目はなんて言ってたかな……覚えてないんだけど、とにかくゆるゆる〜とMCに入った記憶が……(笑)
さくらいさん、このMC中ずーーーと話しながらアコギを肘置きにしてたんだけど、それがテーブルに肘ついて話してる感じで。
姿勢といい喋り方のフランクさリラックス感といい、ファミレスのテーブルで向かい側に座ってる人に話しかけてるみたいな……ほんとに心の距離感を近く感じる話し方だった(;ω;)
 
 
(たは側にゆるゆる〜と歩いてきながら)
 
さく「Against All GRAVITY……、今回のドームツアーのタイトルですけど、『総ての重力に対抗する』、『対峙していこう』という意味です。
で、この『重力』というのは重力のことではありません。(会場??の空気笑)
たしかに自由に飛び回りたい人にとっての『重力』は、重力でございます。
アンダスタン??(客:笑)
 
○○ですか??(意味わかりますか?みたいなこと言ってた)
お母さん、大丈夫ですか!??そこのお母さん!!!!(突然ビシッとたは側客席のお母さん指さす笑)(客:爆笑)
 
(今度はナカガワ側に歩いてく)
 
でも逆に『そろそろ地に足つけて活動したい』、そう思う人にとっては、浮力こそが「重力」なんです。
……お父さん!!大丈夫ですか?!?!!??(ビシッとなか側スタンドのお父さんを指さす)(客:笑)

……(笑)(自分でも笑っちゃう)」
 
 
謎テンションお母さんお父さんいじり(笑)
 
それにしても、今回「活動したい」って言葉を聞いてここのMCの印象が変わった。
今まで参加した公演では「地に足をつけたい」みたいな言い方だったんだけど、「地に足をつけて"活動"したい」っていうとバンド活動のスタンスの話ってニュアンスが出てくるよね。
気づいてみると今更だけど、そっか、そういう話だったのかこれ……。
福岡初日ではここのMCで「英会話を習ってます」の話をしていたこともあって、Against All GRAVITYのことを「地に足をつける」の反対=海外に行く、ってことなのかと考えたりもしてました。今考えるとさくらいさん思いっきり「重力だけのことではありません!」って言ってるのにな……(笑)でも福岡初日があまりに印象的で。
そうじゃなくて「地に足をつけた活動」の反対としてのAgainst All GRAVITYなんでしょ?だとしたらもうそれめちゃくちゃロックバンドじゃん……ロックンロールじゃん……。転がり続けるし、留まることを知らないし、何に縛られるでもない………。
 
 
さく「! (思いついた感じで) あのねぇ、このバンドもデビューしてもう27年になりますが……(お客さん拍手)
ありがとうね。27年もやってるとお客さんの年齢層も幅広く……ね?(客:笑)
先輩。いるでしょ?  先輩。
……(笑)(敢えて伏せた言い方に会場笑)
 
ステージ側から見てるとね、もう親、子ども、孫と3世代に渡ってるように見えるのね。
こっちから見たらだけど!みんなからはどうか知らないけど!
これって本当にすごいことだなぁと、ありがたいなぁと思うのね……。(しみじみした感じ)(客:拍手)」
 
 
と、ここまではほっこりする話だったんですが、いつだって思いつきが斜め10000m上なのがさくらいかずとし。
 
 
さく「(突然思いついたように)…………あ、最近見たんだけどね、 ヒトが社会に貢献している時間を20年とすると(ひと世代を20年とすると?はっきりどっちか分からなかった)、縄文時代から今まで数えてまだ300世代なんですって!!」
 
客「????????」
 
?????????????
 
 
謎の縄文時代に笑いとざわめきが広がる会場、しかしさくらいかずとしは止まらない。
 
 
さく「すごくない!?まだ300世代なんだ、意外と少ないって思って!!!!(力説!!!!しかし会場はまだ?マーク)
だからあれよ、おれらみたいなバンドが100組いたら、(3世代ずつでしょ、みたいな感じで指でいちにーさん数える、)縄文時代まで行ける……」
 
客「???????????????」
 
?????????????????????
 
終演した今考えてもなんなんだこのMCは??(LOVE)
でも元日本史選択としてはさくらいさんの「縄文時代」ってワード聴けたのとても嬉しい……絶対歌じゃ聴けない…………(♪縄文時代から~って歌詞出てきたらかなりびびる)
さくらいさんの中では縄文時代からバンドという文化は続いてるのか、そうか……。脳内でキュウソネコカミの「推しのいる生活」のMVがよぎったよ……。
 
 
さく「はい、本筋に戻ります(笑)
 
ライブでいうとね、『重力』というのは時間なんだと思います。『できることならこの時間がずーーっと続いてほしい!』、『終わらないでほしい!』って、思うと思うんだけど。
ライブは終わってしまうけれど、それでも心の中に永遠に残り続ける時間が瞬間がきっとあると思っていて。
そんな一瞬をひとつでもいい!ひとつでも多く、今日は持てたらいいなと、思ってます。(客: 拍手)」
 
 
これも、今までとがらっと印象が変わったMCだった。
今まで参加した公演ではここで「歳をとるのは嫌よね〜」って言葉から「老い」の話、時間に逆らえない話に入っていたから、もっと長いスパンの話、いつか来てしまうその日の話だと思ってた。
それが、イマココ、このライブの話になった。
すごく嬉しかった。
目の前に彼らがいるこの「今」の延長線上にある未来をイメージできた。はっきりと。
自分で最初からそうイメージできたならよかったんだよね、本当は。でもできなかったから。
だから、この変化は本当に心に染み込んだ。嬉しかったな、あぁ。
 
 
さく「平成から、令和(平和のイントネーション)に変わりました。
変わらない方がいいものと、変わっていった方がいいものとありますが、みなさんにとってMr.Childrenは、そのどちらなんでしょう……そんなことを、自問自答しながら、この曲をお届けします。」
 
 
 
 
 
■名もなき詩
これまでどおりさくらいさん1人から始まる「名もなき詩」……なんだけど、自分が見た今までのドームの「名もなき詩」とまっっったく違った。
 
全体の速度自体はゆっくりめだけど、テンポを完全に崩して、アコギはアクセントをつける程度にだけ弾く。客席はほとんど見ない。
とにかくさくらいさんの呼吸で……もはや歌うというより言葉を置いていく。それぞれの単語を強くアクセントをつけて発する。
ポエトリーリーディングみたいな?演劇的だと思った。
声の調子が悪い時は表情やパフォーマンスで勝負するって言ってたから、名古屋から生まれたアプローチなのかな?とも思った。どうなんだろう。
 
だから自分が参加した中で初めて、会場から手拍子が起きなかった。手拍子を起こす隙を与えなかったと言ってもいいかも。
これができるんだったら、逆にこれまでは敢えて発生させてたのかなという気もしないでもない。
 
 
ほぼアカペラながら時々アコギを混じえて、
「ちょっ……とぐ『ら』いの、汚れ『物』、ならば(ジャカジャンッ)
残さ『ずっ』(ジャンッ)にぜんぶ、『食べっ』(ジャーン)てやる」、みたいな。全然違ったらごめん……
 
某Kちゃんから東京2日目には「この喉を切ってくれてやる」で思いっきり喉を切るジェスチャーをしてたって聞いてたからやるかな?と思ったけれど、この日はやらなかった。ジェスチャーがないなんて関係なく、ほとんどアカペラで発されたその言葉のインパクトはとても強かったけれど。
一番印象的だったのは、たは側まで歩いてきて「こんっなふっちょうっわな(腕ブンっと振る)、暮らし〜の中で、」。
「不調和な暮らし」を振り払うような動き。
 
このあたりでもう引っ込んでたメンバーが出てきてた。花道がないから、メンバーは出てきてすぐそれぞれの持ち場に。
 
 
「生涯を君にィ〜〜〜〜……
……ささぁーーーーーぐ…………(目をつぶって、わざとかすれさせた声。胸にグー)」
 
 
しばらく浸るように目をつぶったまま。
ひと呼吸置いてたはらギターの♪テレレテレレが鳴り始めて、さくらいさんはステージサイドから「Mr.Children」の真ん中に帰っていく。曲もまた、「Mr.Childrenの名もなき詩」に還っていく。
 
 
この瞬間、今私が見たのは、「名もなき詩の原石」そのものだったんじゃないか、って思ってしまった。
 
 
いつもの人懐っこさはない。「みんなの曲」としての名もなき詩じゃない。
こちらに干渉させようなんて気はないんだろう、圧倒するような、突きつけるようなそれだった。
 
「この喉を切ってくれてやる」、「苛立つような街並み」。こんなに強い言葉が並んでいたことをこれまでだって知っていたはずだったのに。
そうか、ここ「不調和な暮らし」って言っていたのか。
こんなに強い言葉たちを受けるほど、この歌の「君」への想いは強く在るんだ。
言葉一つ一つ、想い一つ一つが、鮮烈に飛び込んでくる。
 
 
まだ磨きあげられる前の、採れたそのままの鉱石を思った。
歪でごつごつとした岩肌の内に、ぎらぎらと輝く結晶がぎっしりと詰まっている。カッティングなんかされていない、だから触れれば手に鋭く刺さる。
寄せつけない、でも魅了されてしまう。
そういう「名もなき詩」だった。
 
 
1人だけの名もなき詩からみんなの名もなき詩へ還っていくしばらくの間、呆然としてしまった。
 
そうだった、なんで忘れていたんだろう。
「名もなき詩」は切実な独白の歌だった。
 
自分が出逢った時にはもう笑顔で披露される、みんなと愛を分かち合う「名もなき詩」だったけれど、生まれた当時披露されていた「名もなき詩」はそうではなかった。
だから昔の映像を見る度、今の「名もなき詩」と映像の中の独りごちるような「名もなき詩」の違いに驚いていたのに。
 
 
尖りざらついた「1人だけの名もなき詩」は、加わっていく4人それぞれの音で切り出され磨かれて、「みんなの名もなき詩」になっていく。たはらさんの♪テレレテレレ……のギターなんて、こつこつと丹念にカッティングする職人の手際そのものみたい。
 
同時に、昔の映像で見たあのひりついた「名もなき詩」が、長年のライブを経ていつしか「みんなの名もなき詩」になっていった過程が、今目の前で再現されているようですらあった。
何てものを見ているんだろう。
 
磨かれ照らされたそれぞれの面には、曲を真ん中にして取り囲む彼ら4人の、そして客席の笑顔が映り込んできらきらと光る。さっきまで険しい顔だった彼も、「みんな」につられたように、呼応するように、本当にいつの間にか笑顔だった。
ステージと客席の交歓を「REFLECTION」だなんてよく言ったものだなぁ、
「REFLECTION」なんて言葉をくれる彼らに、よくなってくれたものだなぁ、
改めて、本当に改めて思わずにいられない。
 
1番サビからの名もなき詩は、まさにこの反射してきらめく宝石のイメージだった。
それまでのドーム公演同様に4人で向き合いながら演奏する姿や音が紛れもなく「Mr.Children」だったのはもちろん、さっきまでほとんど客席を見ることがなかったさくらいさんが、客席を向いて笑顔で歌ってくれる。
 
特に覚えているのは、2番の「きっと消せはしない~だろ~ぉ」を歌ったあと、くるっと後ろ(客席)向いて「カモン!」
\(お客さん)Oh Oh〜!!/
で、にこっとしながら4人の輪に戻っていくシーンだったり、
ラスサビ前に客席を向いて「自分の胸に突き刺さる」で語尾を下げていく今までに聴いたことのないアレンジで歌ったり。
 
そんなふうにさくらいさんが振り返るたび、客席を「Mr.Childrenの仲間に入れてくれた」って感じがした。
いつもは4人の中央にカメラ置いて回りながら映す演出があったけれど、沖縄ではそれがなかったことも大きいかもしれない。
いつも以上に「みんながMr.Children」「みんなでつくる名もなき詩」って感じた。
 
1曲の間で、こんなにも印象が変わることがあるなんて。
 
 
「変わらない方がいいものと、変わっていった方がいいものとありますが、みなさんにとってMr.Childrenは、そのどちらなんでしょう」と彼は言っていた。
この日の「名もなき詩」から教えてもらったのは、「『変わっていく』ことは捨て去ることじゃない」ということだった気がしている。
だって今日私はたしかに見たと思ってしまったんだもの、変わったように見えて実はその曲の核にあり続けたものを。
 
そう、これまでだってMr.Childrenは何度も「変わって」きた。
これからもこれまでどおり……これまでと“変わらず”に「変わり続ける」んだと思う。
この“変わらない”4人で、あくまでこれまでの積み重ねを引き連れて。
 
そう教えてくれたこの日のこの曲は、本当にかけがえないものだった。
この胸に焼き付いた原石の輝きも宝石の輝きも、きっと忘れないよ。
 
 
 
 
 
■MC
名もなき詩が終わるとさくらいさんがメンバー紹介する……んだけど、いつもはすぐそれぞれのメンバーの名前を言うところ、今回の第一声が

Mr.Childrenでした!

で、もうこれだけで泣いてしまった……。
Mr.Childrenだったよね、Mr.Childrenだったよ……(´;ω;`)
 
「ドラムス、すずきひでや!
ベース、なかがわけーすけ!
ギターたはらけんいち!
ボーカルさくらいかずとしでした!」
 
(´;ω;`)(´;ω;`)
 
 
 
さく「ここで大事なミュージシャン(メンバー、ではなかった……なんだっけ)を紹介したいと思います。
まずはキーボードアンドボーカル、世武裕子、セビー!!!!」
 
去年の「重力と呼吸」のアルバムレコーディングから参加してくれてる、ピアノ・キーボード・オーケストラアレンジを手がけてくれてる、声も綺麗なんです、コーラスもやってくれてます!、っていういつもの紹介。
紹介されたあとのセビー&じぇんちゃんが顔見合わせてだぶるぴーす♡♡だぶるぴーす♡♡し合ってたのがかわいくて喋りの記憶飛んだ(笑)
 
 
さく「お次はこの人、この人がいなければ、Mr.Childrenの音楽は成り立たないと思ってます。
もうずっと、僕らと一緒に音楽を奏でてくれています。もう20年近くになります。キーボードアンドボーカル、サーー二ーーーーーー!!!!」(客:わーーーー!!!!)
 
 
さく「次は……。って次の曲ね(笑)もう紹介する人いませーん(笑)(かっっっわい)
次にお届けする曲は、2005年に出したI♡Uというアルバムの曲になります。その前の年、僕はBank Bandというバンドでライブをしてレコーディングをしてアルバムを出しました。
Bank Bandのメンバーは素晴らしいミュージシャンです、天才ミュージシャンばかりです。でもね、なんか違うって思ったの。
……言っときますが  悪  口  じ  ゃ  あ  り  ま  せ  ん  !!!!!!!!(客:笑)
セェンスィティブですから(笑)(なんか英語っぽい発音笑)
 
例えるなら……おれの部屋が、あまりに綺麗すぎる!みたいな。リモコンとかキチーーーっと並べて置いてあって、ほこりもひとつもない……なんか落ち着かない……みたいな……
それよりもリモコンとかグチャーっと置いてた方が居心地がいい……(客:????って空気)
この例えわかんない??もういいよ、もういいよ(キレ)(客:wwww)
 
サッカーで例えます!!!!(客:でーたサッカーwwwww的な笑い)
大人のサッカーだとね、パス大事です、スペース作るの大事です、ロングボール、大事です。センタリング、上げましょう。
ってなるんだけどね。小学生ってそうじゃないじゃん。小学生のサッカーって、1個のボールに15人ぐらいがグチャグチャーーって(笑)(実演する、ボール取ろうとしてグチャグチャーーみたいな足さばき)(客:笑)
 
大人も子どもも一緒だよ。(この一言、すごく胸に飛び込んできた)

みんな点取りたいのは一緒だよ、でも技術が気持ちを……
……いや逆か(笑)

…………(考え中で動きフリーズ(笑))(客:笑)

気持ちが、技術を追い越して……、でも情熱は伝わってくるみたいな。だから小学生のサッカーが大好きなんです。」
 
 
大人で子どもじゃん……Mr.Childrenじゃん…………(´;ω;`)
 
 
さく「だからサッカーが好きだし、音楽が好きです。(これ違うとこかも?)
 
人と話す時も同じで。
気持ちが溢れて、言いたいことが溢れてうまく喋れなくて、でも伝えよう伝えようとしてくれる人、
そういう人が、好きなんです。
 
だからI♡Uのジャケットでは(グーの手を胸の前にまっすぐ伸ばして)、気持ちが溢れて形にできないのを表現して、トマトがぐしゃっとなってるんです。
そんなI♡Uから、お届けします。」
 
 
 
 
 
■CANDY
曲がいい(根本的な感想)
歌が上手い(根本的な感想2)
いつもは裏声になることも多いラストの方の「声を聞きたくなーーーーーーって」を地声で綺麗に歌っていたこともあって、改めて今日の声の調子のよさも再認識したりして。
 
いつもの花道先端ではなくメインステージでの披露だけど、いつもと同様に床モニターで色とりどりの線が渦巻き、その上で彼らが演奏する。図としてはHANABIに近い感じ。
花道のときに花道脇から出ていたムービングライト、メインステージでも出てたのかな……席がステージ寄りだったから逆に視界に入らず気づかなかったのかもしれない……。
 
いつもメンバーの演奏する姿を順々に映していくサブモニター。これまで自分が参加した公演では何故か毎回なかけが映されるときにバックの照明光が入り込んでオレンジ?真っ赤?に染まる「ナカガワ炎上(※勝手に呼称)」が発生していたんですが、照明との位置関係や使い方が違ったであろう今回は「ナカガワホワイトアウト」になっていました。(バックの白い照明光が入り込んだ?)
結局このツアーを通してここは「ナカガワを抜く」で固定の演出だったってことなのかなぁ。
今日は不意打ちのホワイトアウトでだいぶ笑っちゃったけど、炎上もホワイトアウトも好きな演出でした(笑)
 
 
この日のCANDYでいちばん印象に残っているのが、Cメロから大サビへの入り。
Cメロを歌ったあと数歩下がっていたさくらいさんが、「ダッ、ダッ、ダーン」の演奏とともに床モニターの渦が拡散する瞬間に前に出てくる!!!!それがばっちりモニターに抜かれる!!!!
歌詞のとおりの「気持ちが溢れる」瞬間が視覚聴覚全部から入ってきて、瞬間心臓ギュンと掴まれました。最高!!ばっっっちり!!これ大好き!!!!
ライブというものの醍醐味そのものヽ(;▽;)ノ
 
 
 
これまでの公演同様、「CANDY」はアウトロから引き継ぐような形でさにやんのピアノ演奏に入り、そのピアノが次曲のイントロに繋がる。沖縄ではこのさにやんのピアノの演奏が変わってた!!
感覚的ながら説明すると、低音が増えて、繊細さより支える安定感?包容力?が増したような印象。
元々次の曲はどの公演でも高音部がきつそうな曲であったことに加えて、これもまた前公演のコンディションがきっかけになって生まれたアレンジなんじゃないかなと思った。
Thanksgivingのfanfareのイントロでもこういうのあったよね、ツアーを回る中でどうにも高音部で歌がきつそうだったのを受けてか、ドーム編の終盤にキーボがサポートするようなアレンジへ変化していた記憶が……。
さにやんのこういう支えまっせ!なプレイが大好き……安心と信頼のさにやん(;ω;)
 
 
 
 
 
■旅立ちの唄
叙情的なピアノと歌声が1対1で響く形から始まり、2番からバンド演奏に入っていくこの曲。
 
繋ぎのピアノアレンジの変化同様、1番のサビに入る前~サビのピアノが変わっていました。
「(~どんな場所にいても)Ah」からサビに入るときのタメが長くなり、全体的なキーも低く。
ここも、1番の高音を支えようとしての変化だった印象。
 
こうして考えると、こういう変化が起こるのってさくらいさんとピアノ(キーボ)が1対1のときが多い気がする。
普通に考えたらバンド演奏の方がボリュームも大きくて声が埋もれそうなものなのに、バンド演奏とともに歌うさくらいさんの声にそう思ったことって1度もないかもしれない。むしろ「増して」聴こえる、バンドが送るエネルギーをも自分のものにしてしまうように。
そんなとりとめないことを思ったりもしました。
 
 
手の届かない場所で背中を押してるから」。

この日、やっとこの言葉を本当に素直に受け入れられたのがすごく嬉しかった。
 
個人的な話になるけれど、このツアーの始まった頃に参加した公演では、MCに散りばめられた言葉からネガティブなことを連想してしまった。
端的に言うと、「手の届かない場所になんて行かないで」って思ってしまった。
福岡初日に聞いた「英会話を習っています」「ロンドンにレコーディングしに行きます」の言葉、「時間には逆らえない」「あとどれくらい歌ってられるんだろう」「今死んでも後悔はない」の言葉が、このツアーのテーマ、セトリ、歌詞と完全にネガティブな繋がり方をしてしまった。
彼らが比喩なんかじゃなく本当に距離的時間的な「遠く」に行ってしまうことを突きつけられた気がしてしまった。「今死んでも後悔がない」、そう言いきる人なんだから、見送ったとして次に会える保証なんてないと愕然とした。
それと同時に、笑顔で送り出す気になれない自分への自己嫌悪も止まらなかった。
これじゃ自分こそ「重力」じゃないか。足でまとい。
 
でも、そんな気持ちを溶かしてくれたのもまたMr.Childrenだった。
 
彼らは決して「遠く」だけ見据えているのではない、「近く」……「今」「ここ」のことを本当に大事に思っているんだと、MCや曲を通じて何度も伝えてくれた。
はじめに参加したときは「遠く」の方が強く印象に残ったけれど、参加する度、明らかに「近く」(今ここ)の方を強調するMCやパフォーマンスに変わっていった。
そして今日、「名もなき詩」前のMCで決定的にバランスが変わっていたのを感じた。
ほんとは全部最初から言ってくれてたことだったのにな。自分の心が最初から受け取れていればいいことだった。
時間がかかってしまったけれど、やっと心からそう受け取れるようになれて、本当によかった。
 
今日この日聴いた最後の「背中を押してるから」。
こちらを置いてくつもりなんかなく、手の届かない場所でも絶対に背中を押してくれるつもりなんだって心の底から思えた。何よりこちらも背中を押したいと思った。足をひっぱるんじゃなくて。
あなたたちや私がどこにいても、これからも押させてください。どうか。
 
 
そして最後にひとつだけ余談を……。
翌日のツアーファイナル公演が終わった夜、沖縄料理の居酒屋さんで今ツアーの思い出を語り合ったりしてて。その中で
「どうして今回『返事はいらないから』がなかったんだろう」って話になった。
あれこれと話し合ってる中で、友人がぽつりと
今のMr.Childrenは『返事はいらなくない』から……?」って言った。
 
 
え??
 
 
それってつまり、
 
 
 
(´;ω;`)(´;ω;`)(´;ω;`)ブワッッ
 
 
ねぇ!!私たちは気づかないうちになんて大きい愛をもらってたんでしょうか!!!!毎度ながら気づくの遅いよ!!!!
しかも後から確認したら、今までのライブ披露時も1度も「返事はいらないから」って歌ってないみたいなんだよ!!
なにそれ!!もう!!!!言わないことによって「言う」ってなに!!!!もう!!!!もう!!!!

 
大好きです!!!!!!!!(完)
 

いちばん伝えたい返事はもう決まってる、さっき書いたそのまんまだよ!!!!
受け取るのが遅くなってごめんね、届いてほしいなぁ、届いてくれるといいなぁ!!君のわかんないところで僕も今奏でてたよ!!(曲違)
 
生まれて初めてのライブで奏でられるのを聴いてから12年。
また聴ける日が来るのを待っててもいいかな?
そのときには最初っから受けとめて、ありったけの返事を抱えて聴きたいな。
そんな日が来るの、密かに待っていたいと思います。
 
 
 
 
 
■MC
 
さく「ありがとうね、沖縄。(僕の方こそありがとう!!!!)
 
よく、『今までに作った曲で1番好きな曲はなんですか』って聞かれることがあります。
で、作った曲はどれも子どもみたいなもんですから、優劣なんて順位なんてつけられない、って言うんですけど……。
次の曲は、実は僕が1番だあいすきな曲です!!(笑)(客:笑)
 
みなさん、ミレニアム問題、って覚えてますか?
1999年から2000年になる時に、水道が止まるかもしれない、ガスが止まるかもしれない、電気が止まるかもしれない……。そう言われてて。
僕もですね、石油ストーブを購入しました!!
……みんな忘れちゃった?(笑)
 
で、そうして1999年の大晦日に寝て、2000年の元旦に、頭の中に歌詞が溢れて起きたんです。急いでノートに書きとりました。
(もうちょっとなんか言ってた気がする)
 
何が嬉しかったってね、新しい世紀に歓迎された気がしたの。「21世紀になってもお前はまだ音楽を続けていいんだ」って、祝福された気がしたの。
そんな特別な思い出も含めて……お届けしたいと思います。」
 
 
 
 
 
■ロードムービー
今までは彼らが花道先端で演奏して、彼らを先頭にして花道モニターを光の筋が流れていく演出だったけれど、前述のとおりこの会場には花道はない。
さらにアリーナ席(低い)だからメインステージの床がどんな映像になっているかも見えない。
だからその分、いつもよりじっくりバックモニターの映像を見てみました。
 
バックモニターにはずっと「僕」と「君」の視界(バイクで走ってて流れていく景色)が映し出されていて、それは
高速→トンネル→街→光→高速
と移り変わっていく。
高速と高速の間に挟み込まれる映像が変遷することで、ほんとに「先」に進んでいっていることが表現されているんだなぁ。
流れていく景色の中には歌詞のとおり「街灯」も登場してて、ほんとにバイクで走っているかのように近づいてきてはフレームアウトする。この街灯の登場からフレームアウトまで、もしかして……と思いながら数えたら見事に2秒!!!!歌詞そのまんまだーー!!
 
ここまで景色映像の話をしてきたけれど、そんなバックモニターの景色の映像の上には、メンバーひとりひとりが重ねて映されては消える。
さっき「僕」と「君」の視界になっているって言ったけれど、こんなふうに彼ら自身の映像と同時に見ていると、この「ロードムービー」における「僕」と「君」は彼らのように思えてくる。
 
彼らが映され始めるときの「今も僕らに付きまとう幾つかの問題」の歌詞には、名もなき詩前のMCで言っていた「重力」を思わされたり、「泣きながら君が見てた夢は~」の歌詞には、この曲の前のMCでの21世紀を迎える前の不安を思わされた。
極めつけに「ただ君の温もりを優しい体温をこの背中に抱きしめながら」とか今の状況そのままじゃないですか?今まさにさくらいさんの背中側で笑顔で歌いながら叩いてるドラマーいるもんね!!!!(えっそこですか?????)
これはほぼこじつけみたいな連想だけど(笑)
 
でも、そんなふうに彼らが重ねられた「僕」と「君」の歌が、「等間隔で置かれた闇を越える快楽にまた1つスピードを上げて/もう1つ次の未来へ」って歌詞で締めくくられるのが、すごく嬉しかった。
この日は見えなかったけれど、たしかに花道モニターの光も、彼らの背中側に向かって流れていくんだよね。彼らが前に進み続けているのを表現する演出。
 
今ツアーの「ロードムービー」は、彼ら自身が明るい未来へ向かおうとしているのを形にして見せてくれる、そんな1曲だった気がしました。
 
 
 
 
 
←③へつづく
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